GUEST INFORMATION

Joon-Shik Lee

有限会社オフィスリー 代表取締役 / 株式会社foRme 取締役

http://www.office-lee.jp/
https://forme-tokyo.com/

有限会社オフィスリー 代表取締役 / 株式会社foRme 取締役

国籍 : 韓国 東京生まれ セントメリーズ・インターナショナル・スクール Parsons School of Design(パリ) 東京で生まれたのち、7 歳までハワイで過ごし、日本帰国後インターナショナルスクールに通う。
10 代後半を画家として東京・パリで活動。吉田カバン創業者 吉田克幸氏に師事。(現 PorterClassic 会長) パリ・ロンドン・ニューヨーク・サンフランシスコを放浪。日本帰国後、複数のデザイン事務所・アパレル会社を経て お菓子メーカーに勤務。東京ばな奈、銀のぶどうのブランドコミュニケーション、 商品および店舗開発、パッケージ開発を手掛ける。

東京で生まれたのち幼児期をハワイで過ごし日本帰国後、都内のインターナショナルスクールに通う。10代後半から20代前半を画家として東京・パリで活動、その後数年間をパリ・ロンドン・ニューヨークで過ごし90年代後半に帰国。様々な経験を経て2005年1月にブランディングデザイン会社オフィスLEE設立。グローバルに活躍し数々の事業を手掛けてきた李 浚植氏とは。

1:萬屋となったルーツ

まずは事業内容を聞くとクリエイティブ業務全般、デザイン業務やブランド開発・立て直しなどのコミュニケーション全般のお手伝いをしていると説明をしてくれたがクリエイティブ業務は工程や役割が複雑であり業務内容も星の数ほどあるため一般的には業務を細分化しているがオフィスリー社は時間とコストを削減するために1人が二足三足四足の草鞋を履きスピーディーかつ効率的に行なっている。つまりは1人の人がプランナーでもあり、マーケティングディレクター、アートディレクター、クリエイティブディレクター、プロデューサーでもあるのだ。そんなことが実際に可能なのかを尋ねると「例えば、主婦の方が仕事をしながら子育てをして家事もし、猫の世話をします、これってもう四足の草鞋なんですよね。マーケティングもクリエイティブも事業設計も商品開発も全部隣り合わせのものだと理解さえしていればできるんです。」と説明をしてくれた。確かに1つの事をやっているはずが気付かぬうちに他業務のことも行なっている人は少なくないはずだ。自信を1つの事をやっていると3日で飽きる性格でスピーディーに終わらせて80点120点でパンっと終わらせると気持ちがいいしすぐ次に行きたくなると話し、何でも屋=萬屋なんですよと表現していたが、そうでなければ戦えなかっとも自分を分析していた。自身のルーツが韓国国籍であるが日本で生まれすぐにハワイへと行き7歳で帰国、英語を話し日本語は話せるが中途半端でハングルは理解ができるが話せない、多国籍の文化の中で育ち様々な顔ができてしまっているそんな自分が何者か分からなくなってしまったそうだ。器用であるがゆえにある程度のレベルまではできるがそれ1本で戦えるところまで行けるかと言ったらそうではない、むしろやろうとも思わず色々な事をしたいと思っていたとも話していた。自分から何かをやろうとするよりかは、周りからこれもできるんじゃない?と言われできるか分からないけどやってみると70点ぐらいは出せてしまう、次は80点が出せて最終的に100点出せてしまうんですよと言う通りに器用でもあり、頭の回転が早く何でもそれなりにこなしてしまうからこそ興味の的が次々と変わっていくのかもしれないと思った。羨ましくもあり簡単にクリアしてしまう天才故の葛藤や虚無感などもあったのではないかとつい深掘りしたくなってしまった。

2:サバイバルな学生時代

インターナショナルスクールに通い、唯一の共通言語が英語の多国籍の人や文化に囲まれた小学校時代は「サバイバル」と振り返るように、文化も何も共通しない阿吽の呼吸もない状況の中で自分をきっちりと説明をしないとお前は敵か味方かと攻撃される、探り合いの中で俺はこう言う者です、仲良くしようぜとまずは対人関係のコミュニケーションから全てが始まる正にヒリヒリした状態であるが、これは大人社会の話ではなく小学生のコミュニティーの中の話である。自分がいかにユルくヌルい小学生時代を過ごしたかと思いつつ、だいぶ大人になった今でさえもそのサバイバルな状況に立たされた時にうまく自分を表現できるかを想像してみたが自己表現が苦手なTHE日本人の私には非常に難しいと恥ずかしながら確信してしまった。「共通してないという事は共通していない事をお互い認め合わないといけない」と早くも小学生で学んだそうだがなかなかできることではなく、多様性と言われる現代でも認め合いができている人はどれだけいるだろうか。李氏の話を聞いていると色々と考えさせられてしまうが、自身の過去の話に戻らせていただく。勉強が嫌いで絵ばかりを描いていた学生時代を過ごしたことから留学を希望した試験でアメリカかヨーロッパ合格しパリ行きを決意する。しかし、学生ビザのためアルバイトができずモンマルトルや教会の前で絵を描き投げ銭でもらったお金でクロワッサンやバケットを食べとても苦労をしたそうだ。他にもファッション雑誌の星占いのページのイラストを描いたりとパリでもサバイバルを実践していた。

3:場外ホームランを打つために

20代半ばに日本に帰国後するが海外生活が長く日本の企業などの知識が皆無で就職活動を

「ガン無視」していたがしないといけないことは分かりつつ電車も嫌いだったことから近場で歩いて行ける距離で探していると小さなデザイン事務所を見つけ入れることができ、広告の仕事もしている会社でデザインや広告に関する業務をその会社で3年ほど学ぶ。その後、お前面白いから来ないかと誘われ食品メーカーへ転職。ブランドディレクターというポジションを新たに設ける際にせっかくなら面白い人、変わった人にやって欲しいという先方の意向と奇跡的にマッチしたそうだが、商品作りや予算設計マーケティングなどメーカーがやることを一通り学ぶことになる。冒頭で話していた「何足もの草鞋を履く」はこの頃に自身が実践していた事なのだと見事に伏線回収された。2005年に会社を設立し萬屋として本領を発揮するわけだが、自分の拘りよりも自分に依頼をしてくださる方たちはブランドがちょっと元気がなくなってしまった、ライバルが強すぎてなかなか勝てないなど深刻な問題や課題を抱え三振では絶対に許されないバッターボックスに立ち、手堅いヒットではなく場外ホームランを狙っている切羽詰まっている状態のだからこそ、裏切ってはいけないことがまず大前提にあるがそれに「応える」ことを大切にしているそうだ。これはひとえに李氏に頼めばどうにかしてくれるんじゃないかという期待感の表れである。

現在は大手映像会社から直接お客さんに何かを伝えようという思いのお手伝いをしているそうでリラクゼーションサウンドを提供するアプリ事業と日本の優秀なアーティストをアジアに紹介するギャラリーの運営に携わっている。これほどまでに多岐にわたる事業を手掛け李氏に依頼が絶えないのは、期待以上のことを成し遂げてくれる頼もしさ、予想外の発想、寄り沿う力、これらは幼少期に自分が何者か分からず自己アピールをしてきた強さやお互いを認め合わないと生きていけないサバイバル時代を経たからこそ成せることではないだろうか。相手側に寄り添いすぎてはいけない、要望に相反してはいけはい、その線引きがとても秀悦な気がしてならない。では、今、何を見て突き進んでいるのか。

後半で聞いていきたいと思う。