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近藤 祐輔

株式会社FC大阪 代表取締役CEO

https://fc-osaka.com/

北海道文教大学明清高等学校から2005年にJ2に参入したザスパ草津に加入。 2007年に退団してからは地域リーグのバンディオンセ神戸/バンディオンセ加古川、FC大阪でプレー し、2014年1月に現役を引退。 FC大阪CRAVO監督およびFC大阪テクニカルディレクターを兼任する。 2015年1月にFC大阪の運営会社であった株式会社アールダッシュ専務取締役に就任し、2018年12月 14日、同社取締役副社長に就任。 2021年3月13日、前任の疋田晴巳の急逝に伴い、株式会社F.C.大阪代表取締役社長に就任。 選手時代のポジションはゴールキーパー。

1996年に設立されたサッカークラブF.C.大阪の代表取締役社長に就任した近藤祐輔氏は2019年から2021年まで同クラブのゴールキーパーとして活躍。本人曰く「恥ずかしながらサッカー選手として大成したわけじゃない、試合に出れない時期も多かったし、プロになれたっていうだけのジャンルの人間です。」と謙遜するが、長きに渡りサッカーに携わっていることから「サッカーは心の底からめちゃくちゃ好きなんだと思う」と笑う彼の選手と経営者としての真逆とも言えるサッカー人生をじっくりと聞いてみた。

1:長く険しかったJリーグへの道

まずはF.C.大阪Jリーグに参加する道のりは非常に長かった。1996年に設立し大阪府リーグからスタート、関西リーグ、全国リーグのJFLを経て、2019年にJリーグに対して、Jリーグ100年構想クラブの申請書類を提出し翌年2020年に承認。2021年J3リーグ加盟へ向けたJ3リーグライセンスの申請を行い、同年9月にJリーグからJ3ライセンスが交付された。
その年はちょうどコロナ禍真っ只中のため、ハーフシーズンつまりは半分ほどしか試合が実施されないトーナメントのような試合形式に「意外とチャンスだったんです」と話すが、大事な最終戦で敗退し、また翌年にチャレンジすることとなった。2020年にチームコンセプトを含めた変革を起こし2021年にようやくチームのスタイルが見えてきたがJリーグには観客動員数というルールがあり、通算3万人、平均2000人以上の観客を入れないとJ3に上がれない。

昇格の成績条件である「JFL4位以内、かつ100年構想クラブ上位2チーム」はクリアしていたが残す条件の3732人を超える観客を動員する必要があったため、大阪府と協力し府民向け無料招待券の発行や、選手が無料招待チラシを街頭で直接配るなどのアピールを敢行、当日には1万2183人の観客を動員し条件を全てクリア。
当時はコロナ禍で観客も行っていいのか、行かない方がいいのか非常にセンシティブな時期であり、呼びかける選手やチームに携わる人皆、誰しも迷いは生じていたはずである。
だからこそ1万2000人という動員数は選手たちの自信や力にも繋がり、「もうこれはいけたな」と試合前に勝利を確信するほどスタジアムの雰囲気も全て自分たちに味方をしているかのようだった。

結果は引き分けに終わったが見事J3に昇格。

誰よりもクラブを愛しプライドを持っていた前社長疋田晴巳氏の急逝、彼の死がチーム全体がグッと前を向いて団結したのも後押しになっていた。

2023年のJリーグ開幕戦、対戦相手は元々J2にもいたチームの鹿児島ユナイテッド。実力もある両チームのサポーターも気合が入っている緊張感が張り詰める空気の中、開始早々にゴールを決めるが、点を決めた瞬間はスタジアムに「音がなくなった」ほどにシーンとし相手側のサポーターも何が起こったのかわからない状態だったと振り返る。
順調な滑り出しだった一方で、Jリーグデビューを果たし選手も浮き足立っているかのようなお祭り感も否めず、なかなか勝てない時期もあり課題が残るシーズンであった。

2:ビジネス勝利とマネタイズを別軸として考えなければならないスポーツビジネス

1年目で11戦負けなしの8位にまで食い込みJ3での優勝も視野に入るチームである。しかし、ビジネスの予算の話となると変わってくる。J2のチームで売上4億、7億は当たり前であり、J1になると10億は超え規模が全く違う。
チームの勝利と会社としての運営は違うようで密接であり、連動してマネタイズしていかないと成り立たない。
「結局は“強さ”に依存することがスポーツ業界。とにかく勝たないといけない。勝たないと正義は勝ち取れない。」と彼が語るようにミーハーという言葉は適切では無いかもしれないが切っても切れないことであり、このSNS時代に話題になり世間の耳に入りいかに広められるか、そして勝てば勝つほどに予算が必須となる中で、当事者がどこまで強さに依存できるかが重要になっていく非常にシビアな世界である。
元選手として現経営として両者を経験した近藤氏の苦悩、勝利とマネタイズを別軸として考える心の強さは計り知れない。

3:“意味”を作っていくこと

選手として携わった一方で、会社員としてサッカーとは別の事業も経験したことも現在の経営者としての強みにもなっているという。サッカーから離れてビジネスの勉強を積み、サッカー業界に戻ってきた当初は元プロサッカー選手と言うことに懸念もあった。

「検索すれば分かりますけど、大したことやってないんで笑」と、さらりと言えるには相当な葛藤があったであろう。それを乗り越え力に変えたのはやはり前任の逝去が大きかったという。当時、副社長として経営に携わり後々は引き継いで欲しいと言われていたが

実際にはまだまだ先のことだろうと思っていた矢先のことだったため就任1年目は何をやったか覚えていない程に必死に元プロサッカー選手ということは強みであると何かの壁を乗り越え吹っ切れたそうだ。

自分は1人ではない、スポンサーや地域のパートナー、そして全国にいるサポーター、沢山の人と共に戦っている。サッカーというフィールドで感動を与え一緒に何かを目指す。
「その何かは“意味”を作っていくこと」
その意味とは何か。さらに深掘りしていく。
後編へ。