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横山 陸人
プロ野球千葉ロッテマリーンズ
https://www.marines.co.jp/team/player/detail/2023_00001245.html
*プロ 4 年目(2023)
*今季プロ初勝利/初ホールド/初セーブを記録
*38 試合で 2 勝 3 敗 8 ホールド 1 セーブ
2001 年 8 月生まれ。22 歳。
小学校 3 年生のときに『南篠崎ランチャーズ』でキャッチャーとして野球を始める。
中学校では軟式野球部に所属し投手として活躍、3 年夏の全国大会では決勝まで勝ち上がる準優勝。
専大松戸高校に入学、
1 年時からベンチ入りし、1 年冬から 2 年春までの間はアンダースローに、その後本来のサイドスローに戻す。
2 年秋からチームのエースとなり 3 年時には最速 148km/h を記録、
3 年春の県大会では準優勝。
3 年夏は県大会 4 回戦で敗れ、甲子園出場経験は無し
2019 年 千葉ロッテマリーンズから 4 位指名を受け、入団を果たす。
2023年パ・リーグ2位、第2回アジアチャンピオンシップの日本代表にも選出され、同大会では1次リーグの韓国戦に登板し、1イニングを無失点に抑え優勝に貢献した千葉ロッテマリーンズ所属の横山投手をお迎えし前半は野球を始めたきっかけなどを軸に話を聞いた。
1:野球を始めた経緯と運命のポジション変更
小学3年生の時に、自身の兄の友人が野球をやっていたことをきっかけに野球を始める。中学校に上がり軟式野球部のキャッチャーとして所属をしていたがなかなか中学2年生の頃は試合に出れず3年生頃から身長も伸び始め、身体的にもある程度力もついてきたことで野球も成長できたと実感したそうである。そのタイミングで当時の監督からピッチャーをやってみないかと言われる。後々なぜピッチャーにしたのかを聞くと「他にポジションがなかった」と言われたそうだが、横からサイドハンドで投げてしまう癖が元々あり、外野手でもボールが右の方向にずれる球ばかり投げキャッチャーも取りづらいから内野手をやらせようとしても同じような球で、もうやるポジションがないなと苦肉の策でピッチャーをやらせたら意外にはまったと、言われ「自分も結構びっくりしました」と言っていたが、消去法とはいえ横山氏の才能が開花されたとなれば怪我の功名ではないが監督の判断は正しかったと言える。さらにその才能の開花は非常に早く中学3年生の夏の大会で決勝まで進み準優勝であったが投手に転身したばかりでのこの結果は驚異的ではないだろうか。地元の高校で楽しく野球ができればいいなと思っていたが、この夏の大会が評価され県外の強豪校、専修大学松戸高校へ進学する。しかし、軟式から硬式への転向で苦戦を強いいられ1番の違いであるボールに慣れるのに時間がかかったという。柔らかい軟式用のボールに慣れていたため固いボールに当たった時の痛さにも恐怖心がありうまく馴染めなかったことが大きな要因と振り返る。そういった状況のため試合出れない日々が続くがまたも転機が訪れる。監督から本来のアンダースロー転向を命じられると最高球速が6km/hアップ、2年生の秋からエースとなり、3年生では最速148km/hを計測し、3年春の県大会では準優勝をする。甲子園の出場経験はない横山選手がドラフト会議の指名候補になぜ選ばれたのか・・・。
2:プロ転向の経緯
ドラフト会議の候補選手はどうやって決まるのかを聞くと高校3年生のタイミングで進学かプロ選手志望かを選択することができ、プロ志願届けを提出すると各球団に通知がいきエントリーが完了するそうだ。その後、プロスカウトの方が実際に試合へ足を運び20~30分ほど選手と話をしたり、身長体重や過去の怪我などを書く調査書が届くと「もしかしたら指名されるかも」と思うそうだ。明確な言葉はなく確信もないためあくまでも自分の予想である故、なんともソワソワとする時間を過ごすことになる。横山選手は甲子園出場経験がない中でも12球団中7球団から指名が入り、4位指名の千葉ロッテマリーンズへの入団を決める。指名された要因を尋ねると強豪校との対戦や、プロが注目するバッターとの対戦でも抑えたり三振を取ったりすることができていた結果ではないかと自己分析してくれた。因みにドラフト会議で指名されるかは本人も当日までは知らされないそうで、横山選手も当時はパソコン室で当時のスポーツクラスの仲間であった野球部やラグビー部、サッカー部などのクラスメイトとドラフト会議の中継を見ていたそうで7球団からの指名はやはり驚きと嬉しさが爆発したそうである。ドラフト会議で高校生が指名され仲間や家族と喜びを共有するあの瞬間がリアルだとは驚きだが本人たちは緊張で言葉通りに手に汗握る時間だと思うと、いち視聴者の私たちに感動を与えてくれる素晴らしい瞬間だと実感した。
3:初の国際大会の舞台
プロ入り後の第2回アジアチャンピオンシップでは、2対0の日本が優位の8回で登板のチャンスが訪れるが初の国際試合の舞台でまさか自分が投げるとは思っていなかったようで日の丸を背負っての投球は緊張感と驚きで足が震え「マウンドに立ったらもう自分の今できることをやるしかないんだと開き直ることができた」と振り返る。その経験と0点に抑えられた結果は横山選手にとって大いに自信に繋がったそうだ。2024年も自分は国際大会で抑えたんだと強い気持ちを持って挑めると力強く話してくれた。
急なポジション変更や軟式から硬式への転向などターニンングポイントを何度も経験し、良い意味で肩の力が抜けている柔軟な選手という印象とその野球の姿勢そのものの柔らかい人柄の横山選手の2024年の意気込みなどを後半で聞いてみたいと思う。