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北村 勇人

株式会社北村商店 代表取締役

株式会社北村商店 代表取締役
http://www.kitamura-s.co.jp/

日本酒をメインとした醸造機器用品薬品等の商社、1911年創業の株式会社北村商店五代目。 日本酒の普及、関わる酒蔵様の酒質向上に向き合っていきます。

酒造メーカーの製造に係る各種消耗品・薬品や、酒造機械、瓶詰めプラント等を販売する1911年東京都台東区上野にて創業の株式会社北村商店の五代目、北村勇人氏をお迎えし日本酒の普及、酒質向上に向き合う思い、日本酒業界の現状、酒作りと機械の密接な関係について詳しく話を聞いた。

1:日本酒と機械

日本酒醸造に関わる機械、資材を扱う専門商社である株式会社北村商店は日本酒を作る工程に携わる機械全般を取り扱っている。日本酒の原料である米の精米、洗米、米を蒸す甑(こしき)、発酵する際に冷やす放冷機、麹を作るための麹室、タンク、ボトリングまで全工程に必要な機械を取り扱っている。日本酒そのものの作り方に関しては何となくイメージがつく人も多いと思うがその工程に必要な機械に着目する機会が少なかったからこそ純粋に興味が湧いた。当たり前ではあるが、機械が無いと酒作りは不可能であり実現できないが、北村商店を挟めば日本酒の製造が可能となる。「中小の酒蔵さんが多いのでうちみたいな知識のある商社が挟まることで酒蔵さんが分からないことも事もこちらで円滑にできる。カンフル剤みたいな役割を担っている」と話していたが、一気に全てを任せられるのはとても心強い。1911年に北村氏の曾祖父が立ち上げたが最初のルーツは長野県にあり資材などを販売する個人商店から始め、その後、当時の玄関口であった上野に拠点を移したそうである。現在、日本酒専門店も良く目にし海外でも人気があり盛り上がっている様に感じるが、日本酒業界の現状は、1973年をピークに出荷量が3分の1以下に減少し市場規模が6000億円程度まで縮小、酒蔵数も1400軒の免許所有者のうち、実際に稼働しているのは800~900軒程度と驚く程に厳しい現状を教えてくれた。1973年当時はお酒と言ったら日本酒、贅沢ができない時は焼酎とまだ多様化が進んでいなかった時代であるが、現在はウイスキーやワイン、酎ハイなど選択肢が多いのに加え若者世代の酒離れに伴い日本酒は更に敷居が高く身近なお酒としてはの認識は難しいのかもしれない。

2:クラフト酒

厳しい日本酒業界であるがさらに驚く話を聞かせてくれた。日本酒を作るには酒造免許が必要となるが現在の日本では日本酒の醸造免許の新規発行が認められていないそうである。新しく酒造をつくるには廃業してる蔵元や休業中の蔵元を見つけ、その蔵から再発進する必要があるなど、新規参入するには困難な状況であり業界が広がらず活性化しないのも納得である。当たり前であるが免許なしでお酒を作ると密造酒となってしまうが新たに免許は発行されない、そのような中で新ジャンルの日本酒ともいえる「クラフトサケ」が生み出された。「その他の醸造酒免許」を使うと日本酒の工程とほぼ同じお酒を作ることはできるが最後の工程である圧搾という絞る工程を踏むことがNGとされ、もろみの状態だったら出していいとされていたのが所謂どぶろくと呼ばれるお酒であった。しかし「みんな搾りたくなるんです、透明にしたくなるんです」と北村氏が言うように人間の心理なのか透明=綺麗というイメージは強く、味のバランスも然り絞らない工程のままの酒が搾った酒に勝るかどうかはやはり難しいそうだが、もろみの中にボタニカル、たとえば茶葉やホップなどを入れてそれを絞ったら「その他の醸造酒」と、国も認めたことでクラフト酒の地位が今は確立してきている。北村商店にも年間3~4件ほどの問い合わせがあるように、日本酒の市場も減りこのままの現状だと業界自体が衰退すると業界全体が切磋琢磨している状況の中で、このクラフトサケを通じて若手が参入しいい流れができていると続けてくれた。酒作りは相当なレガシーな業界であるが神事や行事にも使われるため伝統産業としてずっと残していきたいと想う北村氏は五代目であるから長く業界にいて幼少期から継ぐと言う意識が高かったのかと聞くと、実は家業を継ぐことを全く考えていなかったそうだ。銘柄を脈々と継いでいく酒蔵に生まれていたら違ったかもしれないと言うように商社である北村商店はオリジナルの商品をずっと続けていかなければならない状況とは異なること、業界が衰退している現状を感じていたこともあり新卒で全く違う業界へと進んだ。その後戻ってきたターニングポイントは同じ業界の同じ世代から若手がこれからいっぱい入ってくる、一緒に頑張っていこうと話をされ家業でもあり日本酒業界がどういう状況か数字面もわかっていたため半信半疑ではあったが熱意と若手が不足している現状もありやっぱり戻るかと決意をしたそうだ。

3:手作業と機械の調和

日本酒は秋に収穫した米を使い雑菌の繁殖が少なくゆっくりと発酵ができる12月~翌年2月頃の寒い時期に酒作りを行う「寒作り」が一般的であり綺麗な水と気温が大事とされ寒い地域が最適と言われていたが、今は米の輸送、水の加工、気温も冷房を使えば可能となり環境さえ整えば日本全国どこでも酒作りができてしまうそうだ。そうなると海外でも作れるのだが、地域的表示(GI=Geographical Indication)によって原料の米に国内産米を使い日本国内で製造したものが日本酒として限定されており海外で作るとSAKEとなるが、暖かい国や地域でも作れてしまうことに技術の発展の素晴らしさを痛感したと同時に現代的で少々の寂しさを感じた。しかしどこでも作れるからと言って全てが完璧なわけでは無いだろうと、北村商店で扱う資材や機械によって味や出来は変わるものなのかと少し意地悪な質問を投げかけると「あると信じてます」と力強く答え、科学的にもエビデンスのあるもので例えてくれた。お米についた米ぬかを洗う機械はお米をなるべく割らない工程が重要になってくるが、通常の我々が食べる米よりも小さな繊細な米を扱う故、その加減は人の手ではなく機械で行うため非常に繊細で難しい。同じくボトリングに関しても酸化をしない方が美味しいままユーザーの手元に届けられる、つまりはなるべく空気を入れずに充填したりと技術的なことが重要となる。そういった技術的な面で大いに日本酒業界に貢献しており支出改善に寄与していると本人も自負している姿を見せてくれた。昔あまり売れていなかった商品が世に出ていく過程を見ているととても嬉しくなりやりがいを感じると話すように、北村商店が手掛ける事業は表だった目立つものではないが縁の下の力持ちのような、主役を引き立てる名脇役のような無くてはならない存在であることは確かである。酒作りは朝早くから始まり夜は麹の面倒を見るために泊まり込みで行うなど長時間の労働が当たり前となっている中で今、効率化が重要視され機械の導入が注目されている。手作りを突き詰めると人員、コストもかかりそれだけ時間を要してしまうことは致し方ないかもしれないが手作業だからできることもある。北村氏も働き方改革がどの業界も進み次世代へと受け継ぎ伝統的な酒作りが更に発展するには、機械にできることは任せるなどの機械化による効率化と手作業の調和を重視している。


2024年12月5日には「日本酒の伝統的酒作り」がユネスコの無形文化遺産に登録され、今後伝統的な酒作りが次世代に引き継がれていくきっかけになりインバウンドが日本の酒作りに興味を持ち実際にどうやって作るのか酒蔵へと出向く機会も増えることだろう。北村氏が日本酒業界へと戻ってきたターニングポイント、そして今後の展望など後半で掘り下げていこうと思う。