GUEST INFORMATION
葦沢 恒
GUM株式会社 代表取締役
GUM株式会社
https://gum7.com/pc/welcome.html
<ゲストプロフィール>
1982年生まれ。大阪府出身。
前進座俳優養成所を卒業後、無名塾全国公演、松竹座公演、日本で初めて北朝鮮拉致事件を扱った舞台に出演など、歌舞伎系統から新劇、小劇場などあらゆるジャンルの舞台で俳優活動を行う。その後、独立プロダクションGUM(株)を立ち上げ、「オシアウコ」として、商業映画のプロデュースを開始、実写映画だけでなく、劇場版アニメもプロデュース、小規模作品からメジャー作品まで、幹事を勤め、幅広いジャンルで作品を製作している。
「ニワトリ★スター 」(2018年/プロデューサー)
「駅までの道をおしえて」(2019年/プロデューサー)
「神在月のこども」(アニメ)( 2021年/統括プロデューサー)
「ニワトリ☆フェニックス」(2022年/統括プロデューサー)
1:リアル漫画喫茶で培った知識
これまでに29名のゲストをお迎えしたがサッカーをしていた人がとても多くサッカーエピソードが頻繁にでてくるが葦澤氏もその一人で腰を負傷しサッカーで挫折を経験しその後大学も辞めバックパッカーでヨーロッパを一人旅しているときにこれからどうしようかと考えたときに思いついたのが映画だったそうだが、自身の父親も俳優をやっており、祖父は「素人批評家」と表現していたが実兄と共に毎週土曜日9時の映画は必ず祖父に連れられこの映画は何を語っているか考えろと英才教育を受け育ち兄と共同部屋だった6畳の部屋には大量の漫画と2000本程の映画のビデオで埋め尽くされ、まるで漫画喫茶のような環境で幼少期を過ごした背景を聞くとその選択は必然だったように思う。映画=俳優に決めたのは若かった事もありモテたかったと率直に話してくれたが父親に相談したところまずは舞台からやれと勧められ東京のオーディションを受け合格、大阪から上京し老舗の前進座という劇団の養成所からキャリアをスタートする。7年間数々の舞台に出演し活躍をするが27歳の時に家業が失敗し大阪へと戻り、パーマ液とシャンプーを売る美容業界で営業マンを務めるのだが1年目で数字を上げ東京の本社にも呼ばれるほどに手腕を発揮するが3年で借金を返済すると決めていた覚悟と闘志にも似た強い気持ちが功を奏し宣言通りに3年で返済を果たす。その後、もう役者じゃないなと思い映画を作る側のプロデューサーになればまた出たくなったら出れるし監督業もできるだろうと現在のGUM社の立ち上げメンバーとの出会いも相まって会社を設立する。かなり要約してくれたとは言え波瀾万丈な20代だったように思う。しかしプロデューサーとしての実績や経験がない中でどうやってキャリアを積み上げてきたのか「結局は人だと思います」と話すように映画はいろんな人たちと共に作り上げていくからこそ1人1人を大事にしてきたと振り返る。そしてこういう作品を作りたいあれがやりたいこれがやりたい誰かいませんかと兎に角「言いまくっていた」そうだが待ってても何も生まれず自ら動くことはとても重要なことでありそこから手を差し伸べてくれる人、新たな出会いなど何かが生まれ、チャンスを掴む努力を惜しまなかった結果が今に繋がっているのではないだろうか。更には1番学んだことは責任感だと続けてくれたが巻き込む責任、資金を預かる責任、何か問題が起きた時に対応し解決する責任など、たくさんの事を経験してきた葦澤氏だからこそ重みのある言葉であると思った。
2:3つの作品
通常、映画を作るのに3年は掛かるそうだが企画から始まり準備期間、撮影、編集など多くの工程を経て映画祭への出品がその後の上映に大きく影響すると説明をしてくれたが1年を通して世界各国で映画祭は開催されておりそこでどう言った評価をされたのか、賞は獲れたのかが要となり箔がつくと劇場での収益やWebなどの動画配信事業社への売却にも大きく関わると、映画祭の役割が単なるイベントではなく非常に重要な催しなんだと初めて知った。因みに公開前に出品し評価を得る映画祭とは逆に劇場公開後に面白かったものがノミネートされ評価されるのがアカデミー賞である。幼少期から映画に囲まれて育った葦澤氏に人生を変えた作品を聞いてみると「好きな映画を3つ聞いてその人の性格を当てる映画占いって遊びをよくやるんです」と斜め上からの回答が返ってきた。面白そうなので続けてもらうと葦澤氏にとってこれ以上ない完璧な作品が「ゴットファーザー」そしてジュード・ロウの代表作である「ガタカ」、日本が誇るスタジオジブリの名作「火垂るの墓」を挙げてくれた。良い作品を作りたいと自分が作ったものはどうなんだろうと確かめ比べる時にゴットファーザーを、落ち込みそうな時にはガタカを観るなど何度も繰り返しみている様子が伺えた。そして映画をブレンドコーヒーに例え、所詮は模写でありオリジナルは存在しないからこそオリジナルな組み合わせを追求することの重要性を強調した。今あるものを少し発展させ、組み合わせて生み出すことはビジネスにも通じるものがあるのではないだろうか。やはり葦澤氏は根本がビジネスマン脳を持った人だと改めて思った。
3:次世代に繋ぐ2つのバトン
初監督を務めるドキュメンタリー映画「満天の星」が2025年夏に公開予定との事でストーリーを話してもらった。題材は1944年8月22日に沖縄から九州方面へ向かっていた学童疎開船「対馬丸」が鹿児島県・悪石島の北西約10kmの地点を航行中に米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け沈没した事件。乗船者には、学童疎開学童、引率教員、一般疎開者、兵員らが含まれ犠牲者数は、学童784人を含む1,484名とされ救助されたのは学童59人を含むわずか177人だったが戦中も戦後も詳しい実態調査がなされず、犠牲者数はいまだ特定できていない。生存者には「対馬丸が沈められたことを話すな」という命令が出されるほどに徹底的に極秘とされた。事件の生存者を祖父に持つ無名塾出身の俳優・寿大聡は、祖父が亡くなったことをきっかけに、祖父の足跡を辿り、事件はなぜ極秘とされたのか、一体その時、何が起きたのかを調べる旅に出る。そして、今戦争を経験している子供達の夢を聴くためにウクライナまで足を運び話を聞いたそうだ。体験者の話を聞き次の世代にどう伝えていくか、今までも幾度となく戦争と向き合わなければいけないと思っていたことからこの映画を作る事を決意し2年半かけ完成した。まだ知られていないことが多くあり語り継ぐこと学ぶことをやめてはいけない、決して忘れてはいけない、そして2度と繰り返してはいけない戦争について、終戦80年を迎える2025年にこの映画を通してまた改めて向き合うきっかけになればと思う。
そして11月1日からは島根県の山陰中央テレビと共同で若手クリエイター向けの企画募集プロジェクト「ドーパミン」を立ち上げ、予算2000万円で、映画、小説、アニメ、漫画などさまざまなコンテンツの企画を募集する。「作りたい」という意欲があれば特に内容は問わないそうだがどういった人がきて欲しいか聞くと日本のオリジナルって何なのかというところは追求したい、日本の歴史を掘って物語にしたり企画する方がグローバルだと思う、そして「日本はスペシャルじゃなくてユニークな国だと思うんで」とグッとくる言葉と共にと答えてくれた。是非、意欲のある方は応募してみてはいかがだろうか。
最後に話してくれた企画や前編でも話してくれたが件も含めて次の世代を育てたいという気持ちが強く感じられた。あらゆることを経験し企業でプロデューサー業を学んだわけでもないからこそ葦澤氏も独自のスタイルを見つけやり続けてきたから今がある。人それぞれのスタイルがあり時代が変わればその分スタイルも変わる、向き不向きもある、若い子達にはやりながら自分のオリジナルを探して見つけられたらいいと話してくれたのがとても印象的であった。自分も業界では経験もない異端児で門前祓いもされたからこそ受け入れる体制や気持ちが大きいのだと思う。
幼少期から培った映画と漫画の知識や経験したコトをこの人はきっと余す事なく次世代に継いでくれるだろうと楽しみだありワクワクする未来が見えた気がした。