GUEST INFORMATION

三崎 勇祐

株式会社バークインスタイル

https://barkinstyle.jp/bark/

株式会社バークインスタイル CEO 三崎 勇祐

1985年大阪府出身 服飾専門学校を卒業後、20歳で株式会社ジュンに入社 販売スタッフ、店長を経験したのち、本社にてMD、営業職など幅広く経験 2012年モデル梨花がディレクションしたアパレルブランドMaison de Reefur(メゾン ド リーファー)にてプレス/プロモーションを担当 2015年ジュンを退社したのち株式会社バークインスタイルへ入社 2017年韓国にてバークインスタイルSEOULを設立 2021年制作Div BARK Planning lab.設立 執行役員を経た後、 2021年代表取締役社長就任 2022年 株式会社日本創発グループへの子会社化 2024年2月に会社を原宿へ移転するタイミングでスペースレンタル新規事業Creative space CALM Harajukuをオープン

国内外のメンズ・レディースのモデル・タレント・クリエイターが所属するマネージメントオフィス株式会社Bark in style(バークインスタイル)。ファッションを中心にCMや雑誌、ショーなど幅広く活躍し、海外コネクションを活かして ヨーロッパ、アジア諸国へのプロモーションも積極的に展開している。 2022年には「BARK Planning lab.」を設立し、これまでの経験を活かし、企画・制作に関する要望にも応えている。また2024年3月にはスペースレンタル新規事業「Creative Space CALM Harajuku」をOPENした。アパレル業界から芸能事務所への転職、マネージメント業を経て代表取締役の就任に至るまでの三崎氏の半生、華やかな業界の裏側、モデルとの関係性、経営哲学など詳しく聞いた。

1:モデル事務所の事業内容とは

これまでゲストに迎えた中で最も一般的に接点が少ないであろうモデル事務所とはどういう事業内容なのか、どういった観点で所属モデルを決めるのか、聞きたいことが山ほどある。モデル事務所と言えど、海外モデルのみを起用したり、ハーフモデルを多く揃える事務所、キッズ専門などさまざまなカラーがあるがBark in style社は日本人からハーフモデル、年齢もキッズから40代後半と幅広く所属をしている。さまざまなクライアントからの要望に応えられる目的もあるがクライアントがイメージできるかに重点を置いているからだと説明をしてくれた。アパレルブランドなどのファッションに特化したモデルばかりを集めると他ジャンルの業種には対応が難しく面接は毎回難航するそうで、実際に不合格にした後に別事務所で活躍をした人を見ると後悔することもあると話していたが正解がない中で正解を探し続ける楽しさや所属したモデルが一気に成長を遂げるなどの面白さや手応えも感じている。満場一致で決まることはほとんどなく2回3回とオーディションをすることも少なくない。その表舞台で活躍するモデルを支える事務所で働く人はキャスティングや仕事の獲得など重要な役割を担っている。三崎氏も入社当初はマネージャー業を担っていたがマネージャーという職種はスケジュール管理や車を運転し現場へ同行、食事などの手配などをイメージするがモデル事務所のマネージャー業はあまりそういったことはしないそうだ。1人に1人のマネージャーがつくわけでもなく3~5人ほどのモデルを担当することも珍しくない。どういった方向で売り込むかの戦略を組むかはもちろんだが、担当モデルを引き連れてアパレル会社へ顔見せに行ったり、マネージャーが単独で書類や写真を持参して訪問する売り込み営業、展示会やパーティーに行き自分自身を売り込み繋がりを作るなど、意外ではあるが泥臭く足を使う営業職が強いとも説明してくれた。

2:さまざまな経験を積んだアパレル時代

会社にずっと座っていることが苦手で営業活動は勿論のこと展示会やパーティーなどにも頻繁に出向いていた事からよくどこにいるんだ、いつ戻るんだと怒られていたと笑っていたが人と会うことが苦ではなくむしろ好きなのには前職の経歴も関係している。三崎氏は大阪のアパレル会社に20歳で入社し販売員を経て当時所属していた会社の東京本社勤務を命じられ上京後は本社勤務でMD=マーチャンダイザー(商品の企画・開発や商品構成の決定、販売・サービスの計画立案、価格設定、予算管理などを専門とする職種)として活躍。当時はカリスマ販売員という言葉ができ始め商品は店頭で買う、憧れの販売員から買う事がステイタスとされ店頭が非常に盛り上がっていた時代である反面、現場は大変さを極め本社からの指示にも納得できないことが多く本社会議に出席する際は思いの丈を吐き出していたところ上司に面白がられ東京への異動を命じられマネージャーとして日々の業務に勤しみ27歳の時には新しいブランドの立ち上げと共にプレス業としての白羽の矢が立つ。納得できないことを飲み込み自分の部下に落とし込むことが嫌だが本社の意向も理解ができ年齢的にも若手で勢いもありちょうど中間の立場だったからこそ言いたいことを吠えられと話していたが、売上も作りきちんと実績を作っていたからこその抜擢である。有名なディレクターが手掛けるレディースブランドのプロモーションプレスとして朝から晩まで叱咤激励されながら3年間さまざまな経験を積み、この期間で出会った方達とはその後も仕事で繋がるなどとても良い経験だったと振り返る。

3:言行一致と社長就任への決意

アパレル業界を経て30歳でBark in style社に入社をするがアパレル業界出身の自分には何ができるのか、周りの経験豊富な人たちとこのまま戦っても負けるのは目に見えている自分の持ち味は何か、小売業界出身の自分には全く関係のない業種の人たちからヒントを得るなど違った角度で戦ってみようと試行錯誤を繰り返す。そしてアパレル時代からBark in style社に入社後も一貫して「言行一致」という言葉、つまりは口で言うことと行動とに矛盾がなく主張しているとおりに行動することを大切に実践することに辿り着く。裏を返すと嘘をつかないという意味でもあると話してくれたが悲しいことにビジネス上で嘘をつかれることを経験したことから自分は絶対にしない、できないことはできないと言うが代案もきちんと提案することも同時に決めているそうだ。所属するモデルと一緒に考え一緒に行動することが大事なのかなって思うんですと話していた三崎氏は入社2年目の創設10周年のタイミングで前任の代表から引き継いで欲しいと打診をされるもやんわりとし濁すように躱していたがコロナ禍に差し掛かった辺りから2年間ほど毎日のようにオンラインで熱い思いを伝えられ家族や周りの社員からの後押しもあり社長就任を決める。結果的に前任がバイアウトをし三崎氏が社長に就任する形となるがマネージャーとしての経歴と実績はあったものの社長という経営者への転向は結構な覚悟だったそうだ。アパレル時代にMDとして数字の組み立てなどは携わっていたが規模が違い自分次第で何十人、何百人もの人生が変わるかもしれないよいうプレッシャーは相当である。

自身が社長に就任し実行したこと、変革を起こしたことなどを後半で詳しく聞いてみたいと思う。