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出嶋 翔

株式会社エース

https://acetokyo.com/

株式会社エース COO 出嶋 翔

東京で産まれ 幼少期に両親の離婚をきっかけに福島県南相馬市に移り住む ひとりっこだったこともあり、幼少期はかなりの人見知りで引っ込み思案 親の影響で小学校一年生からテニスを始める 小学生・中学生では全国大会に出場 高校では県外の高校にテニス留学 ここから寮生活がスタート 出身地や育った環境も全く違う同世代の仲間と共同生活をすることで、今までどれだけ恵まれた環境にいたかを実感 そこで親のありがたみ、また多様性や、調和性などの人格形成が為される 大学時代は体育会テニス部に所属していたが、あるクラブイベントで代表の中嶋泰と出会う 呼ばれれば夜中の2時からでも繰り出すフットワークの軽さを武器に、他大学の友人や先輩など、数多くの人脈を作る その後新卒で大手アパレル企業に就職 一年で退職し、大学時代の友人4人で起業 六畳一間の部屋で、4人で共同生活をしながら昼夜仕事に明け暮れる 「お金でもめて倒産するとか考えられない」と息巻いて設立するが、 3年目には結局金銭関係で揉めて倒産 その後路頭に迷いながらも、テニス関係の方からの紹介でテニスコーチを始めるが、 周りの同世代がどんどんビジネスの世界で活躍している姿を見てこのままで良いのかと悩み始める そんな時あるベンチャー企業の社長とお話をする機会があり、 「出嶋くんは自分の人生こんなはずじゃなかったって思ってない?色々なタイミングで、自分で選択し続けて今の人格が形成されてるのだからこんなはずだったんだよ」と核心的な助言を受ける そこで『原因と結果の法則』という本に出会い自分の人生観が大きく変化する その後学生時代の先輩でもある中嶋と再会 中嶋から東南アジアに一人旅に行って来いと言われ、旅費を渡され一週間後に渡航 一ヶ月の一人旅の中、世界は広く、ただし時間は有限である、ということを強く感じる そして、A Inc.2期目にジョイン 全く未経験の領域での仕事で最初は戸惑ったが、中嶋の、『人を信じて任せる』スタンスのおかげもあり、3期目で二桁億円の売上を社員2人の状態で達成 そこから『人の可能性に光を当てる』というミッションを掲げ、組織を一斉に拡大 自身の様々な人生経験を活かし、人材育成・仕組みづくりに従事する 4期目にCOO就任 好きな言葉は『水滴石穿』

1:フォロワー数よりも影響力と人間力

インフルエンサーマーケティングは海外だとKOL=キーオピニオンリーダーと呼ばれSNSを利用している人も多いことからフォロワー数が重視される傾向にあり日本よりも東南アジアの方がフォロワーを買っている人が多いと指摘した。東南アジアの陸続きな場所だと例えばタイでプロモーションをしたいのにフォロワーはインドネシアが多いなどの現象が起きるためこれを取りまとめるにはエース社開発のマーケティングツール「Astream」が必須だと考え現地でも受け入れられ海外展開も順調であると手応えを感じている。一方で、フォロワー数が重視される一方でフォロワー数の多いインフルエンサーが勧める商品を買うか否かは実際の影響力が重要であると強調する。そして面白いことに男性向け商品のクライアントはほぼいなく女性向け商品のクライアントが多いそうだ。とは言え女性はシビアな部分もあり正しい情報を出しているか、見る側の視点も試され発信している情報に左右されまいと自覚している人が多く勧めている商品を闇雲に買うことはしないためやはりインフルエンサーの影響力や人間力が重視される。また企業アカウントのフォロワー数を増やしたいクライアントも多いがそこばかりに着目せずにアルゴリズム的に動いている人が多くないとおすすめ欄にも出てこないのでフォロワー数に惑わされずにどれだけのファンを作れるかの方に重点を置くべきだと話してくれた。フォロワー数が少なくてもインスタグラムのストーリーズにあげたら反響が大きいなどの方が大事な指標ではないかと出嶋氏は思っているそうだ。どの企業でも少なからず影響があったコロナ禍ではエース社も同様だったそうだが、会ってコミュニケーションをとることが当然だった状態から対面でのコミュニケーションが制限され、社内マネジメントが難しくなった。更に主要クライアントであったアパレル業界が打撃を受け、1番最初に広告費が削減されるなどの影響はもちろんあったが、アパレルに固執せずに別事業にアプローチもでき、ファッション業界で培った成果は別業態でも展開できると振り切り本格的にツールの開発に踏み切れたそうだ。時流に流されるようなビジネスモデルはいつか限界が起きるが、ツールは年間契約が基本でもあり財務的にも安定でき積み上げていけば成り立つと決断できたのはコロナ禍のおかげだと悪いことばかりではなかったと振り返る。

2:テニスで培った判断力

小学校1年生からテニスクラブに入り、3年生になると本格的に週6回ほどレッスンに行き小中学校では全国大会に出場する。福島県出身の出嶋氏は小中学校は地元の強豪のテニスクラブに所属した後、栃木県の高校へと進学し全国から集められた特待生たちと共に寮生活を送る。高校卒業後は東京の大学に進み4年間テニスに打ち込みつつ遊びたい盛りの年頃のため夜は街へと繰り出していたそうでその頃の大学1年生の時にエース社の代表中嶋氏に出会う。この外に出て色々な人に出会ったことが今の経験値へと繋がっているそうだ。そしてテニスに長年熱中していた中で自分で考え判断する力が身についたと話してくれたがそれにはテニスは試合中にコーチングをしてはいけない競技だからだと説明をしてくれた。小学生や中学生はもちろんのこと年齢関係なくコートに入ったら自分で考え自分で処理をしないといけない珍しいスポーツである。小学生から始めた出嶋氏は負けたくない気持ちから相手選手がどこが苦手でどう戦うかの戦術含めて誰からのアドバイスもなく1人で考えることを長年続けていたおかげで自然とその判断力が育ち今に生かされている。エース社代表の中嶋氏も教えることはせずに大まかな説明だけしてあとはやってねできるでしょと基本的に全てを一任する人だそうで「やるしかないじゃないですか」と笑っていたがそれもテニスで培った判断力の賜物ではないだろうか。

3:どの時代にも求められる影響力とカリスマ性

インフルエンサーマーケティングと言葉にしてしまうと俗っぽく流行り廃りある感じがしてしまうが、誰かに憧れその人に影響を受け商品を買ったりサービスを使うことはどの時代でも誰しもが1度は経験があるはずだ。何かに秀でた影響力を持ったカリスマ性を誰かが見つけてあげることですごい力となることを若い頃に感じた出嶋氏は人の可能性に光を当てていきたいと話す。普通の女の子だった子が読者モデルになりそのままモデルや芸能人になったケースも少なくないが全ては自信を持つことがエネルギー源なのかもしれない。時代によってプラットフォームは変わったとしても人に影響を受け行動することはずっと残り続けていくと思う。今後の展望を聞くとインフルエンサーマーケティングをデジタルマーケティングの中でもっと上位に持っていきたいという気持ちと、当初マーケティングツール「Astream」をインフラの立ち位置にしたいという点は変わらないが海外にもっと展開し競合ツールももっと増えてデータ量も増えさらに成熟した良いツールになるのではと考えている。エース社は日本の国力をあげたいと立ち上げ大袈裟でおこがましいと思いながらも先人たちの労力や功績が認められ日本の国旗が掲げられている国があるように自分たちも同じようにもう一度日本人として誇りを持ち頑張りたいという思いがあるそうだ。インターンを受け入れているのもそういった理由から若いうちからビジネスというものを経験させることで世界で戦え活躍する人がもっと増えるのではと若手人材の育成にも力を入れている。描いた未来は自分が生きているうちに実現するかわからないがそれでいいと思っていると話し、国力を上げるという展望も現在そこに近づいていることが自分が生きている証明だと思っていると語る出嶋氏は個人的にプロ野球チームを持ちたいと笑って話してくれた。実際にプロ野球チームを持つ企業もあり実現は可能であり不思議と数年後に保有していそうだと思った。

それには移り行くスピードの速い時代背景の中でもしっかりと先を見据え何が必要か何が求められているかを見極め新たな文化を創り上げてきたエース社の中嶋氏と出嶋氏であるからこそ実現可能だと感じた。次はどんな世界を見せてくれるのか楽しみである。