GUEST INFORMATION

秋山 大輔

TTNE 株式会社

https://ttne.jp/

1978 年生まれ。東京都出身。 18 歳で渡西(スペイン)し、ヨーロッパ諸国の文化を学ぶ。 帰国後は⻘山学院大学へ入学し、学業の傍自身の母校である都立豊多摩高校サッカー部の監督を 4 年間務める。 卒業後はプロモーションデザインを専門とする 日本最大手プロダクション株式会社フロンティアインターナショナルにて、ナシ ョナルクライアントやファッション系ブランドを中心に、8 年間プロデューサーとして活躍。その後、日本最大級のファッションフェスタ「東京ガールズコレクション」を手掛ける株式会社 F1media に入社し、 国内外の様々なプロジェクトのプロデューサーとして活動。 2014 年には、株式会社 WHYiT の CEO として独立し、多種多様なクライアントのブランディング・プロデユースに携わっている。独立後は、MERCER OFFICE 株式会社、株式会社 INFORICH、Airstar Japan 株式会社などのジャンルに捉われないフィールドで、外部アドバイザーとしても活動を拡げている。 20 代よりサウナに開眼し、世界中の様々なサウナを経験しながら、サウナの素晴らしさを伝えているうちに“サウナ師匠”と呼ば れるように。日本最大級のファッションフェスタ「東京ガールズコレクション」のプロデュースや、野外音楽フェス「ULTRA JAPAN」VVIP 統括等、様々なプロデュース実績の知見を活したブランディング手法で、日本サウナのリブランディングやプロデ ュースを手がけているサウナ界の第一人者。新たなコンセプトのサウナを次々と生み出し、日本のサウナカルチャーに刺激を与え続けている。

サウナブームの立役者である秋山大輔氏をお迎えし、イベントプロデューサーから「サウナ師匠」としてのキャリアを歩むに至った経験談や経緯、一貫性のブームに終らずこれほどまでに今までのサウナのイメージを覆し定着させ若い世代や女性を虜にし一気に興味を惹きつけたPR戦略やマーケティング手法など非常に興味深い話が聞けた。

1:セルフブランディング

元々はファッション業界に従事し、「東京ガールズコレクション」を手掛けるなどイベント会社でプロモーションやブランディングを担当していた秋山氏だが、そもそもが楽しいことが好きと言うところから始まっている。高校卒業後にすぐスペインのお祭りだらけのフィエスタに2年程留学し、楽しむことを主体にしている人たちと過ごしていくうちにエンタメの世界に興味を持ち始める。その後、帰国した時に1学年300人位いる高校の同窓会の幹事を任され、会場探しから照明や映像、進行までやった時に周りに感謝され嬉しかった反面、これは難しいなと痛感したがこれを仕事にできるのではないかとイベント会社を調べ今や大手となっているフロンティアへ就職を決める。サラリーマン時代はセルフブランディングを大事にし「フロンティアにいる秋山さん」ではなく「秋山さんってフロンティアって会社にいるらしいよ」と会社に頼らずに自分の名前を売ることを徹底していた。そうすることで自ずと会社からも秋山氏が在籍していること自体に価値がつき待遇が良くなりファッションパーティやファションショーをやりたいと周りに発信していたことも相まって仕事が集まりノウハウや経験が溜まりどんどん仕事が増えていった。さらに得に気をつけていたこととしてTPOを挙げてくれたが、当時は東京都の水道局や主税局の仕事をしながらハイファッションの仕事も兼任しており、双方の人に合わせて毎回着替えて打ち合わせに行っていたそうだが、勿論その場に適切な服装で出向く意味もあるが相手に合わせて話ができる雰囲気作りのためでもあった。ファッションはユニフォームみたいなものだからとサラリーマンに見られた方が良い時、クリエーターに見られた方が良い時を見極めて着替えていたそうだが1日に何度も着替えるのはなかなかな労力ではなかっただろうかを尋ねると「だから色々と削ぎ落とされて今は裸の仕事になっちゃったんだよね。ファッションのポイントもよく聞かれるけど脱ぎやすさって答える」と笑っていたが、その裸の仕事=“サウナ”との出会いはいつからだったのだろうか。

2:サウナ師匠と、ととのえ親方の出会い

当時のこだわりや譲れなかったことを聞くとサウナだけは入らせてほしいと思っていたと返ってきたが、サウナ師匠と呼ばれる前の時代とはいえ1番がサウナ?と思いつつ深掘りさせてもらった。仕事終わりに毎晩サウナに通い、周りの友達に入り方を教えていたそうで元々サッカーのコーチをやっていたこともあり人に教えるのが好きだったことからいつの間にか「サウナ師匠」と呼ばれるようになった。当時、関東では秋山氏が師匠と呼ばれていたが、北海道に「ととのえ親方」と呼ばれる人がいると聞き、仕事の合間に会いに行きご飯を食べながら話しているとこんなにもサウナの細かい部分まで話せて話が合う人がいるんだと思ったそうだ。この「ととのえ親方」こそが後に秋山氏とプロサウナーブランドTTNE株式会社を2018年に立ち上げる松尾大氏である。

その後、1年程会う機会がなかったがヨーロッパで仕事に行くついでにフィンランドに行こうとなり松尾氏と現地集合をし5カ国12サウナほど巡る。2回目の対面でここまで意気投合するのは客観的に運命の出会いではないかと思ってしまう程だが、これもサウナ特有の裸の付き合いならではなのかもしれない。この旅を通じて老若男女問わずにサウナを楽しむ人たちを目の当たりにし、今まで日本で見てきた景色と全く違うと思い日本でもこの文化を広めようと2人でフィンランドのヘルシンキ大聖堂の階段の上で夕日を見ながら「俺たちはサウナ界のノースフェイスとパタゴニアになろう」と、2017年に決意をする。帰国後に2人でサウナーというTシャツを30枚ほど作り、手渡しで販売をしていたところ予想以上の売れ行きで手売りに限界を感じ、ECサイトを立ち上げる。最高で月に600万円の売り上げを叩き出し、手応えと共にサウナが好きってみんな言いたかったんだと新たな発見もあった。今や150ブランド以上のサウナブランドがあるそうだが当時は秋山氏たちの1ブランドしかない程にまだサウナ=おじさんというイメージのファッションからは程遠い存在であった。ではなぜ今はここまで良いイメージになっていたのだろうか・・・それには元プロデューサーである秋山氏らしい戦略があった。

3:サウナブームの火付け役

本場のフィンランドでは人口550万人に対しサウナが300万箇所ありいわば一家に一台の全員が楽しむものであるのに対し、当時の日本のサウナのイメージは、おじさん、怖いなどのネガティブイメージや熱いのを我慢しないといけない、独特の流儀がありそうなどの間違った情報が先行し、ある一定のマーケットでしか浸透していなかった。そこで秋山氏のPR理論「真逆をぶつける」ことを実践する。つまりはおじさんの真逆は若い女の子モデル、汚いの真逆は富裕層と結びつけることでフックとなりニュースになるのではと考えた。まさに秋山氏が今まで携わりメインで得意としていた東京ガールズコレクションとULTRA JAPANのVVIPのマーケット層である。メディアがニュースに取り上げる様に計算をしながらパーティーを開催し、有名シェフとのコラボレーション、美容を絡めてイベントなどエンタメ要素を取り入れ新しいマーケットを作ることを7年程行った結果、今のサウナブームを作り上げた。コロナ禍に入る前に海外へ行き情報をインプットしていたことで国内で何をすれば良いか、どういったプロデュースをすれば良いかが見えていたと話す様にコロナ禍でもサウナブームの衰えはあまり感じなかった様に思う。むしろ健康に対しての関心や興味が一層強くなりブームが加速していた印象すらある。エンターテイメントとウェルネスをきちんと紐づけてやっていけば健康面だけではなく精神面も健康になるのではと楽しみながら健康になる新しいライフスタイルを提案をしている。先進国の中でも自殺率の高い日本では体だけではなく精神面の健康=楽しむというこの視点は非常に大事かもしれない。

2024年3月に明治公園と国立競技場の中間に都市型スパ「TOTOPA」のプロデュースを手がけたがサウナは勿論のことフィットネススペースを設けるなど健康とリラクゼーションを掛け合わせた面白い体験ができる試みをしている。