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山本寛大

株式会社enstem

https://en-stem.co.jp/

株式会社enstem CEO 山本 寛大

浅草生まれ、シリコンバレー育ち。 父の仕事の都合で、中学から北カリフォルニア・シリコンバレーで過ごす 16歳の時、アメリカのジュニアオリンピックで準優勝できるレベルのチームに在籍(メンバーには現役で活躍しているメジャーリーガーも) インディアンズとロイヤルズからスカウトの経験も
Googleに入社 26歳でGoogleを退社し、AI(人工知能)を開発する企業で働く 転職と同時に27歳で起業。

前編で話を聞いたNobi for Driver(ノビフォードライバー)はenstem社の在籍メンバーも利用しており、ドライバー業ではなくても例えば出張時の新幹線移動の際に東京~大阪間で大体、静岡あたりから眠気の予兆が始まるなどのデータが取れたりと可視化できるメリットもあるが何より実際に使ってみて商品への疑問点などを自分で紐解けると営業の際に説得力が増し本人の自信にも繋がるそうである。では、そのNobi for Driver(ノビフォードライバー)の開発に至るまでの山本氏の生い立ちや経歴、想いを後編では深掘りしていこうと思う。

1:幼少期に培った判断力と見極め力

“常に前向きポジティブに浅草生まれ、シリコンバレー育ち、野球好き”とプロフィールに記載があり、ツッコミどころが満載ではあるが1つずつ整理をさせていただくことにした。まずは常に前向きポジティブの箇所だが高校時代、野球部のキャプテンだった頃に監督からネガティブな感情は野球をしている時に出さない方が良い、そういった感情を出すことによって周りの士気が下がると当時の監督に言われたことが由縁となっている。次のシリコンバレー育ちは父親の転勤で12歳から18歳まで中学高校をアメリカのシリコンバレーで過ごした時期に様々なことを経験し現在の価値観の形成にも通じているそうだ。1番今も記憶に残っている思い出として中学1年生の時に白人の女の子に挨拶でハグをされた時に手の置き場が分からずに固まってしまったエピソードを教えてくれたが、未だ学校で“This is a pen.” 程の英語しか学んでいなかった少年にはそれはそれは強烈なインパクトを与えたであろう。当時のシリコンバレーは急速なIT企業の発展によって20カ国以上の色々な国の人たちが集まり、その数だけ価値観やコミュニケーションの違い、文化のギャップが生まれていた。そこに多感な時期に身をもって触れた事で山本少年も正義や概念は1つでは無いことを学んだ。それだけ沢山の人種が集まると個々のキャラクターや得意、不得意な事が明確に目に見えるという残酷な現実が待ち構えていたそうだが、山本氏も「授業が始まる前から答えが分かってたんじゃないか」と、思う程に勉強面で優れた人たちに囲まれここで勝負してと到底敵わないと方向転換を図る。幸いな事に当時は松井秀喜選手やイチロー選手などの日本人選手が活躍していたこともあり日本人=野球が上手いというイメージに乗り野球の道へ進むことを決める。学校と言う謂わば特殊なコミュニティで存在意義を発揮するには「スポーツが出来ると人気者になれるじゃないですか」と笑う様に“友達の数”という分かりやすい指標があったとは言え自分の立ち位置を見極める能力たるやまだ中学生の少年で安易と出来る事ではなく、ここで生きていくという覚悟の様なもの凄いエネルギーすら感じる。そしてその見極め力は実践力となりジュニアオリンピックで準優勝をするチームに在籍する程に野球の才能をも開花させる。

2:前向きな姿勢と多様性

その後、高校卒業を機に日本への帰国と大学進学を決める。なぜ、順風満帆とも言えるアメリカでの生活から日本への帰国を決めたのかを尋ねると「これ以上いたら本当にアメリカ人になっちゃいそうだなと思ったんです」との答えに続いて「お辞儀のタイミングが分からなくなってて 笑」と、我々がナチュラルに頭を下げるそのタイミングが分からず今かなと思ってお辞儀をすると相手が立ったままだったなどの海外の方が困惑する日本特有の作法への違和感についてのエピソードを教えてくれた。学校生活では授業の始めと終わりにし、会釈程度でも生活の中でも自然と根付いてしまっているお辞儀の文化は日本人特有であり、海外生活が長かった山本氏には独特な動作に見えていたのだろう、とても興味深い例えであった。更に野球を続けている中でも体格の差や成長の速度、身体能力などにも限界を感じまたしてもここは自分のフィールドではないと退く事を決め、日本で英語の話せる人材の方が価値があると見極めたそうだがこの判断をしたのは驚く事にまだ10代である。20代はどんな日々を送りどんな見極めをしたのかこの時点で引き込まれてしまうが、Google社に入社した経歴はオープンにしているので詳しく聞くと面接時に志望理由は無いと答えたらしい。これだけ聞くと少々おかしな印象を受けるが急成長を遂げている段階のGoogle社にはそれだけ世界から面白い人が集まるからその人たちから勉強をしたいという思いがあり伝えたと聞かせてくれた。その視点や観点が買われ入社を果たし、広告事業に携わりアジアで表彰をされる程に実績と功績を残す。Google社では前向きな姿勢と多様性を重んじる企業文化に影響を受けた事は勿論、自分がどれだけ忙しくても周りに困っている人が居た時にその人を助ける為の前向きな提案が出来るかどうか、それを出来る人が多かったからこそ今も困っている人がいたら助けたい、何か出来ることはないかと探すのはGoogle社で働き影響を受けた最も大きな事かなと振り返っていた。

3:由来と夢

その後、独立し創業をするが事業内容は前編でジックリと聞いたので割愛させて頂くとして、今後の展望について聞くと、業界を問わず生体データを活用したサービスを広げていきたいと答えてくれた。またもう1つの夢として、自身の祖母が和菓子屋をやっておりご縁を大切にする姿を見て育ったことから縁と幹を意味するステムを合わせたenstemという名前を社名として付けた通りに目の前の人に貢献し、その一つ一つの積み重ねが縁の幹となりどんどん広がっていきどこに辿り着くのか、それを自分が死ぬ時に見れたら良いなそれが夢かなと話してくれた。良い事言い過ぎちゃったかなとはにかみ、まだ育ててる現在進行形ですけどねと照れ隠しの様に話す姿をみて柔らかく可愛らしい懐にスッと入る山本氏の人柄が存分に垣間見れたエピソードだなと感じた。Nobi for Driver(ノビフォードライバー)のサービス自体が人の危険を察知し未然に防ぎ助ける事が目的であり、何かが起きた後では遅くその前に一手を打つ、正に見極めと判断力に優れた山本氏だからこそ作り出せたシステムであり、安心し絶大な信頼が置けるサービスではないだろうか。企業は勿論、一般の人たちも利用出来る様にと願い事故のない世界が訪れるそんな未来に期待をし祈りたいと思う。