GUEST INFORMATION

成瀬 大輔

有限会社フタバヤ

https://web.futaba-fruits.jp/

1970 年、東京都中野区都立家政の果物屋に生まれる。 幼い頃から常に果物の香りの中で育ち、青春期はサーフィンや音楽、ストリートファッションに没頭。スノーボードにもハマり、大自然の魅力に憑りつかれる 2006 年、フタバフルーツ 3 代目となり、若かりし頃の遊びを通じて知り得た仲間の繋がりで、自身の感性と共鳴する全国さまざまな土地土地の農家さん達と出会う 仕事も遊びも真剣に自然と向き合う姿勢に深い想いを馳せ、全国の作り手と共にくだものの可能性を伝えたいと 2022 年に二葉屋株式会社を設立。 世界的にも評価の高い日本のくだもの。 鮨、ラーメンの次はニッポンのフルーツ"KUDAMONO"として国内外へ発信していきます。

1941年創業の中野区にある「フルーツをおいしく、楽しく」をモットーにフルーツに関わる活動を行い、サーフィンやスノーボードをライフワークにしながら、生まれもってのポジティブ思考で、四季折々、色とりどりのフルーツを、まるでバトンのようにして、人へつなげる日々。フルーツへの並々ならぬ愛情で、『フルーツ革命』を起こすフタバフルーツ三代目成瀬大輔氏の思いとは。

1:果物道の始まり

成瀬氏の祖父が東京中野区の都立家政で1941年に創業し、3代目として継いだフタバフルーツは、戦後に野原の中に1つ1つお店を作っていき街作りをする過程のなかで3番目に果物屋としてできたそうだ。当時の祖父は革新的だったと話すように果物を売るだけではなくアイスクリームの販売やネオンサインやテレビを入れたりと人々が集まる場所作りを心がけていた。戦後は全国各地でみんなが1つになり協力し合いながら街作りをし、よくぞこの街に来てくれたと街全体を盛り上げていく同じ目標の中で作り上げた1代目、そのイズムを守りながら継承する2代目、そして意外にも3代目を継がせようとするのではなく好きなことをやっていいよと自身の父親にも言われ育てられてきたそうだ。実際にサーフィンやスノーボードなど全国でいろいろな世界を見ながら自然の中で遊んでいて継ぐ気はなかったそうだが、ある日サーフィンの先輩に今後どうしていくのかを聞かれ、果物屋を継ぐ必要性を感じていなく飲み屋でもやろうと思っている旨を伝えると何考えてるんだと言われ企業は10年やって世間から認められる中でお前はお金に変えられない歴史ってものを持っているんだぞと、ご先祖様からもらったルーツである果物を時代的に終わってるなどと人からの声だけを聞いて終わらせるのと自分が最後までやって終わらせるのとは全然違うよと言われた時に衝撃が走ったそうだ。その先輩の言葉がきっかけとなり逃げ道ばかりを考えていたのかもしれないと自分らしいフルーツの世界ってなんだろうと改めて考えフルーツのパーティーを初めてみたのが成瀬氏の果物屋のストーリー「果物道」の始まり。革新的なことをやる祖父の意思を隔世遺伝で継いだと表現するように成瀬氏もその後自分らしい果物屋を全面的に表現するように色々と仕掛けをしている。

2:香りと共に記憶に残る自分としてのあり方

昔は食卓に果物があり冬はこたつにみかん、夏はスイカなどの風物詩として身近に果物があったが、当時は果物離れがありこんなに美味しいものをなんで食べなくなってきているのだろうと食べてもらいたいがどうすれば良いのだろうと果物に向き合うことにした。彩りがあり目で楽しめ香りがある、1つ1つ形や触感も違う、こんなに五感で楽しめる美味しい食べ物はないと気づき、では聴覚である耳も楽しめるように音楽を取り入れたら新しいカルチャーが生まれるのではないかとイベントを2006年から始める。やり続けることに意味があると使命感に駆られ毎月パーティーを開催し、人が来ない時期や苦労もあったが人が人を呼び、ファッション業界からも支持を得るなど徐々に評価されるようになる。花の世界は素晴らしく人を幸せにするように、果物も花を咲かせ実を作る、目でも楽しめ最終的には食べれるって良いなと改めて感じたそうだ。香りが人の記憶に残りふと思い出すように果物の香りと共に果物屋=自分として記憶に残ってくれたことはラッキーだったと振り返る。

3:KUDAMONOというブランド

近年、日本の果物が世界的にも高く評価されたことで外資系企業からのパーティーの依頼も増えた。アートのように評価されるものには値がつくのと一緒で、日本人の勤勉さや細やかさ、技術などが評価され世界的に日本の果物の価値が上がった果物を、ローマ字で「KUDAMONO」と1つのブランドとして確立していきたいと考えている。日本には海山里があり全国各地の地域性で色々なものが育ち四季もある日本の素晴らしい食文化の中も含む和洋折衷たくさんの料理に使用され主役を引き立てる果物を「こんなにも人をPeaceにする食材はない。そこに日本人の心が入ったらWorld Peaceになると思う」と、果物を通じて日本文化を発信し、食を通じて世界平和に繋げ実現したいと夢を語ってくれた。美味しいものを食べると笑顔になる、その連鎖で幸せの輪が広がるその想いはとても素敵だと思った。